不妊治療→妊娠の記録

1981年生まれ。2年にわたる不妊治療の末顕微授精で妊娠

不妊治療 その11 手術後の経過

2016年3月上旬。手術を受けた週末、経過を見るために大学病院を受診しました。

 

手術前に13000を超えていたhCGの値は698まで低下。子宮内も綺麗になっており経過は順調。手術直後に医師からコメントがあったように、胞状奇胎の可能性は低いのではないか、とのことでしたが、予定されていた管理通院は20週間後まで続けることになりました。

 

手術後1カ月ほどは肉体的にも精神的にも低調な日々が続きました。湯舟の入浴と運動を1カ月間禁じられていたため、この二つを普段のささやかな楽しみとしてきたわたしにとっては日々のストレスが少しずつ鬱積する原因にもなったように思います。仕事の上では新年度のスタートの時期を迎え、いつもならば好奇心をもって飛び込んでいける業務や人間関係の変化も、疲労とストレスを増やすだけの余計なイベントとしか思えませんでした。 ゴールデンウィークになればゆっくり心と身体を休められる、その期待だけを頼りに重たい身体を引きずりながら日々をやり過ごしていたのがこの期間だったように思います。

 

手術後初の生理はおよそ1カ月後。いつものような経血の塊はまったくなく、サラサラとしており量もかなり多かったです。その後、基礎体温も生理周期もほぼ手術前の状態に戻り、 不妊治療の再開は手術後3カ月後の6月に許可がおりました。当月はタイミングで様子を見て、翌月からは手術前に予定していた人工授精にステップアップすることを決めました。

 

手術前に胞状奇胎と通告された際には、もしかしたら半年、1年、さらにそれ以上の期間不妊治療がストップする可能性もあると知って大きなショックを受けていたため、想定よりも早く再開ができたことにはひとまず安堵しました。とはいえ不妊治療をしている身では1カ月もムダにはできないと思うもの。歳をひとつ重ねたこともあり、内心焦る気持ちは強くなっていました。

一方で、結局胞状奇胎ではなかったものの、流産の症状としてみてみると素人目にはあまり一般的とは思えないわたしの症例。病理検査でもとくに所見はなかったものの、同じようなことがまた繰り返される可能性があるのではないか、自分は実はまともに妊娠できない身体なのではないかという不安も心のなかに生まれていました。

 

でも、とにかく前に進むしかない。次のことはそのときになってみないとわからない。そう考えて不妊治療専門クリニックに出戻り、卵胞の大きさをチェックする日々がまた始まりました。

7月から人工授精をと意気込んでいましたが、排卵日と思しき日が連休に重なってしまいタイミングに切り替え。待ち望んだ初回の人工授精は8月のお盆休み明けになりました。ここから3カ月、人工授精にチャレンジすることになります。

 

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