不妊治療→妊娠の記録

1981年生まれ。2年にわたる不妊治療の末顕微授精で妊娠

不妊治療 その15 採卵当日

初めての採卵

採卵実施は午前中の枠を指定されていました。前日夜から飲食を控え、当日朝も水も採らず、ノーメイクにマスクをつけて出発。
受付後、まずは内診で卵巣の状態をチェックしてもらいます。懸念していた排卵済みでもなく、無事採卵に進めることになりました。

手術までの待機場所はベッド数台がカーテンで区切られた安静室。処置後もここで休むことになります。
術着に着替え、しばらくベッドに横になっていると順番がまわってきました。

手術室に入り、看護師さんにもろもろ前処理をしていただくと先生と培養士さんが登場。いよいよ手術が始まります。麻酔が入り意識が一瞬遠のいたものの、効きにくい体質のためかいつの間にかぼんやり意識が戻り、針を刺す時に少し痛みを感じて身体をぴくりと動かしてしまうと、看護師さんが身体を押さえにかかります。作業は先生と培養士さんが声を掛け合い個数や卵の状態を確認しながら行っている様子。複数の卵が採れているようで安心し、なるべく身体を動かさないよう意識を集中させました。

おそらく30分も経たないうちに手術は終了。点滴をつけたまま安静室に移動し、ベッドに横になると少しうとうと。そのまま1時間以上は休んだでしょうか。寝たり起きたりしているうち看護師さんにおしっこに行くように促され、問題なく用が足せたので着替えて帰宅準備です。

最後に診察室で採卵数の報告と今後の流れの説明がありました。採れたのは11個、精子の状態があまりよくなかったためすべて顕微受精にまわしたとのこと。受精の確認は3日後に培養室に直接電話するようにと指示がありました。

今回は全ての受精卵を凍結して翌周期以降に凍結胚または胚盤胞を移植する予定ですが、卵巣の状態を確認してもらい、もし可能であれば新鮮胚移植もありうるということで、同じく3日後の夕刻に受診することになりました。

初めての採卵、刺激少なめの方法で11個という成績。ここからどれだけ胚が育ってくれるのかにかかってはいますが、ひとまず全滅でなかったことは喜んでよいと思いながらクリニックを後にしました。

(ちなみに、この日の会計時、顕微を考慮に入れていなかったことが災いしまさかのお札が数枚不足するという恥ずかしい事態に…。苦笑いを浮かべながら近くのコンビニまで急いで下ろしに行きました…)

 

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不妊治療 その14 カウフマン療法から採卵周期へ

前回の投稿からだいぶ間が開いてしまいましたが、ずっと続きを書かなければと気がかりではありました。無事に妊娠37週を迎えられましたので、産休の時間を使って続きを少しずつまとめていきたいと思います。

 

カウフマン療法で採卵の準備

できるだけ良質かつ多数の卵が取れるよう、採卵の前の周期にピルで卵巣を休ませるカウフマン療法を行うことになりました。まず最初の14日間はプレマリンを1日2回、1錠服用。そして後半の2週間はプラノバールを1日1回、1錠服用します。その後、消退出血が始まったら3日以内に受診するよう指示を受けました。

この周期は服用忘れだけ注意していれば、これまでのように基礎体温やら通院の日程調整やらに振り回されずにゆったり過ごせる期間だととらえ、治療のことは極力忘れるようにしていました。

幸い飲み忘れもなく、プラノバールの最終服用日から4日後に生理(消退出血)が始まったため3日目に通院。採血の結果は問題なく、採卵周期に入れることになりました。

採卵周期

私の場合、クリニックで自然周期法と呼ぶクロミッドと注射の併用で卵を育てる方法で採卵に取り組みました。最初の受診日を含め隔日で計4日、注射のために通院。最後の注射の翌々日に卵の育ち具合をチェックして採卵の日程決定もしくは注射の継続を判断してもらうことになりました。

1日おきの注射は負担といえば負担でしたが、朝イチで受付を済ませればすぐに処置してもらえ、始業時間に間に合うくらいでした。

4回の注射を経ての内診日。卵の育ち具合がいまひとつだったため、当日と翌日に単位が2倍の注射を追加して成長を促進することに。(ここまで注射を打っているのに自然周期法というのはおかしいのではと思わないこともなかったです・・・)

追加の注射を経て、ようやく採卵日が決定。採卵にあたってのもろもろ注意事項を看護師さんから説明していただきました。

採卵日の前々日の23時と24時に点鼻薬(ブセレキュア)をスプレーすること。前日の午前中にはボルタレン坐薬を挿肛すること。22時以降は禁飲食、24時以降は水も不可など、少しでも時間を間違えたり忘れたりするとこれまでの努力が水の泡となる項目だらけで、とても緊張しました。採卵は午前中で終わる予定でしたが、麻酔を用いるため、仕事は全休をすることにしました。

採卵を前にしてもっとも恐れていたのは排卵済みとなってしまうこと。採卵日前日はお腹の痛みやおりものがあやしい様相を呈していたのでひやひやしましたが、採卵当日の内診では首席卵胞も含め複数の成長した卵が確認できてほっと胸をなでおろしました。

 

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不妊治療 その13 体外授精へ

3回の人工授精は失敗

2016年8月から10月。3カ月連続で人工授精にを試みましたが残念ながら結果は出ませんでした。3回目の人工授精を行う前には、今回ダメだったら次回から体外に進むことを検討してみて欲しい旨を医師から通達されていました。

年齢のこともあるので、わたしはこの段階でのステップアップはごく自然な流れだと思っていましたが、夫に相談したところ少し抵抗されました。これまでの治療や流産手術でわたしにかなり身体的・時間的に負担がかかっているのを見ている彼は、さらにこれ以上の負荷をかけてまで子どもを持つべきなのかは疑問というのが理由でした。 わたしの身体のことをそこまで心配してくれていたと知ってじわっときたのですが、でも、いまのわたしたちには子どもがいる人生が必要だと強く思っていることを伝えました。

仕事ではやりたいことがそこそこできる環境をここまで徐々に整えてきて、さらにアクセルを踏めばもっと充実することはわかっています。夫と2人の生活も、特に大きなイベントがなくても日々楽しく穏やかに過ごせることが、わたしには大きな心のよりどころです。 仕事に打ち込みながら、このまま2人で支え合って暮らしていく人生も十分に幸せだと思います。でもその一方で、いまの生活の延長線からは予想できないような体験をして、人間として成長してみたい思いが強くありました。 夫にはこのような感情を打ち明けて、覚悟を決めてチャレンジしたいと訴えました。

経済的にもこれまでの治療とはケタが変わるので、可能性があるならいつまでもやるのではなく、どこかで終わらせるタイミングは決めるーーこれを条件に夫も納得して協力してくれることになりました。

採卵の準備: カウフマン療法

最後の人工授精周期が失敗に終わった11月初旬から、採卵に備えてピルを服用し卵巣を休ませるカウフマン療法が始まりました。 前半の14日間はプレマリンを1日2回服用、後半14日間でプラノバールを1日1回服用し、内服終了後に生理が来たら3日間以内に来院するよう指導をうけました。

口頭で説明されたスケジュールでは、11月にカウフマン療法をして12月に採卵、年明け1月はまたカウフマンで、移植にこぎ着けられるのは2月上旬になるでしょうとのこと。

正直、ここまで長期間かかるものとは知りませんでした。 もし採卵ができなかったら、あるいは採卵できたのがひとつだけで、それがうまくいかなかったら、また最初から同じプロセスを踏まなくてはいけません。一年間あったとしてもチャンスは本当に限られていることを痛感。年齢的に猶予がない場合、一刻も早く体外にステップアップするように医師が勧める理由もここにあるのだと理解しました。

今後のことに思いを巡らすとかなり焦りを感じましたが、このタイミングでステップアップを決断できたのはむしろ早かったのだと前向きにとらえ、採卵に向け薬の内服を忘れずに体調をゆっくり整えていくことにしました。

不妊治療 その12 人工授精にステップアップ

2016年3月に子宮内容除去術を受けたあと、ふたたび不妊治療専門クリニックに舞い戻ったのが7月。そこから初めての人工授精にチャレンジできたのは翌8月になりました。

 

D14の朝、排卵日検査薬を試すとごく薄い陽性。とはいえわたしの周期的には排卵日がもう間近であると思われたため、クリニックで卵胞チェックしてもらってから出勤することにしました。

 

わたしの職場は定時が10:00のため、クリニックのオープン前から並んで早めに診てもらえば、幸いにして大幅には遅刻せずにしれっと席につけることが多かったです。排卵日検査薬を使うようにしていたので、卵胞チェックのための通院日が決まるのは前日夜か当日朝になります。だいたいいつも当日の朝上司にメールで「通院のため」あるいは「私用のため」遅刻をする旨を伝えてからクリニックに向かうことにしていましたが、とくに問題はなかったと思っています。

ちなみにわたしは不妊治療をしていることは上司やチームメンバー(全員男性)にはまったく伝えませんでした。唯一、HR部門にいる仲の良い女性の先輩だけには打ち明けていて、どうしても治療のことを説明しないと業務上問題が出そうになった際には彼女に職場への伝え方を相談してからにしようと思っていました。

 

 この日は右の卵巣に15mmの卵胞がありましたが、まだ大きさが足りていないため、翌々日に再度チェック、問題なければさらにその翌日に人工授精というスケジュールを提示されました。

この次の通院時でも結局卵胞は十分な大きさに育っておらず、当初人工授精をする予定だった日に再度卵胞チェックすることに。その日の朝の排卵日検査薬は強陽性。卵胞も18mmまで成長しており、ようやく翌日に人工授精できることになりました。

その日の午後のこと。下腹部に排卵痛と思われる痛みを感じ、今日のうちに排卵してしまうのではないかという嫌な予感を覚えました。

 

そして人工授精当日朝(D18)。祈るような気持ちで計った基礎体温は前日までと明らかに違う高温期ゾーンを示していました。この時点で排卵済みを確信し、今回への期待値は一気に下がりました。

クリニック到着後は自宅で採取した精子を提出し、清浄処理に約1時間。準備が整い内診室に呼ばれたのは11:30頃のこと。エコーでチェックすると、案の定右の卵巣に卵胞はなく排卵済みを確信。排卵直後なら人工授精を実施する方針のクリニックなので、そのまま処置をしてもらいました。

その後、着床を助けるためのゴナトロピン(5000単位)を注射してもらい、ルトラール12日分(朝夕服用)の処方箋を受け取ってこの日は終了。注射については3、4日後にもう一度打つので都合の良い時に来院するよう指示がありました。

 

人工授精後約1週間は特に体調の変化もなく、ルトラールのおかげかほぼ安定した体温で推移。その翌週、人工授精11日後(D28)の夜にピンクのおりもの、その翌々日のD31には茶色のおりものがあり、「着床出血かも」とにわかに期待を高めましたが、結局D33で生理が来てしまいました。

 

人工授精はこれを含め合計3回チャレンジすることになったのですが、ほぼこの初回と同じようなパターンをたどることになりました。3回とも、「人工授精前日の卵胞チェックで翌日の実施決定→当日排卵済み→着床せず生理が来る」という負けシナリオをきれいに踏襲。

以前にも書いたのですが、わたしの場合卵胞が20mmに届かないうちに排卵してしまうようで、人工授精GOがでる大きさになったら翌日まで持たないため、「精子が待ち受けた状態で排卵」という理想的な状態を作れなかったように思います。

そして、3回目の周期には、もしこれでNGなら次は体外受精を検討してくださいと言い渡されることになります。

 

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不妊治療 その11 手術後の経過

2016年3月上旬。手術を受けた週末、経過を見るために大学病院を受診しました。

 

手術前に13000を超えていたhCGの値は698まで低下。子宮内も綺麗になっており経過は順調。手術直後に医師からコメントがあったように、胞状奇胎の可能性は低いのではないか、とのことでしたが、予定されていた管理通院は20週間後まで続けることになりました。

 

手術後1カ月ほどは肉体的にも精神的にも低調な日々が続きました。湯舟の入浴と運動を1カ月間禁じられていたため、この二つを普段のささやかな楽しみとしてきたわたしにとっては日々のストレスが少しずつ鬱積する原因にもなったように思います。仕事の上では新年度のスタートの時期を迎え、いつもならば好奇心をもって飛び込んでいける業務や人間関係の変化も、疲労とストレスを増やすだけの余計なイベントとしか思えませんでした。 ゴールデンウィークになればゆっくり心と身体を休められる、その期待だけを頼りに重たい身体を引きずりながら日々をやり過ごしていたのがこの期間だったように思います。

 

手術後初の生理はおよそ1カ月後。いつものような経血の塊はまったくなく、サラサラとしており量もかなり多かったです。その後、基礎体温も生理周期もほぼ手術前の状態に戻り、 不妊治療の再開は手術後3カ月後の6月に許可がおりました。当月はタイミングで様子を見て、翌月からは手術前に予定していた人工授精にステップアップすることを決めました。

 

手術前に胞状奇胎と通告された際には、もしかしたら半年、1年、さらにそれ以上の期間不妊治療がストップする可能性もあると知って大きなショックを受けていたため、想定よりも早く再開ができたことにはひとまず安堵しました。とはいえ不妊治療をしている身では1カ月もムダにはできないと思うもの。歳をひとつ重ねたこともあり、内心焦る気持ちは強くなっていました。

一方で、結局胞状奇胎ではなかったものの、流産の症状としてみてみると素人目にはあまり一般的とは思えないわたしの症例。病理検査でもとくに所見はなかったものの、同じようなことがまた繰り返される可能性があるのではないか、自分は実はまともに妊娠できない身体なのではないかという不安も心のなかに生まれていました。

 

でも、とにかく前に進むしかない。次のことはそのときになってみないとわからない。そう考えて不妊治療専門クリニックに出戻り、卵胞の大きさをチェックする日々がまた始まりました。

7月から人工授精をと意気込んでいましたが、排卵日と思しき日が連休に重なってしまいタイミングに切り替え。待ち望んだ初回の人工授精は8月のお盆休み明けになりました。ここから3カ月、人工授精にチャレンジすることになります。

 

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不妊治療 その10 手術当日(子宮内容除去術)

2016年3月初旬の月曜日。冷たい雨の降る中、日帰り手術のため朝から大学病院に向かいました。この日は仕事で関わっているプロジェクトのわりと重要なイベントが控えていたのですが、前日の日曜日、引き継ぎ内容とお詫びの言葉を連ねたメールを一緒に取り組んできた先輩に送り、体調不良で欠勤する旨を伝えていました。

 

手術前の処置

病院一階で入院の手続きを済ませ、夫と一緒に入院病棟へ。6人部屋に通されました。

まずは子宮口を開くためのラミナリアを入れる処置を受けることに。卵管造影検査を受けた時のバルーンでも相当な痛みを感じたので今回も覚悟はしていました。実際、ラミナリアが何本も入って行くたびに痛みが広がり、処置が終わったあとは痛みと吐き気で立ち上がれなくなってしまいました。看護師さんに助けられながら車椅子でベッドまで移動。ラミナリアが水分を含んで膨らむのをベッドで待ちます。

しばらくは下腹部痛ににぶい痛みが続いており、ひたすら目を閉じて耐えていましたが、1時間ほど経つと痛みは薄れ、スマホをいじったり夫と喋ったりして時間を潰せるまでになりました。

 

麻酔が効かない?

お昼過ぎ頃、いよいよ手術に入ります。手術着に着替え、看護師さんに伴われて手術室へ。まずは点滴の管を取ったり酸素マスクをセットしたり。続いて麻酔が入り、意識が遠のいたと思った瞬間、痛みが下腹部に走りました。思わず「痛い痛い!」と遠のく意識の中何度も叫びます。そのうちに痛みがなくなり、目を覚ました時に手術は終わっていました。

どうやら麻酔との相性が悪く効きがあまりよくなかったようで、途中で種類を切り替えたとのこと。ストレッチャーで病室に運ばれ、またしばらくうとうととしました。

 

夕方近くになり、最後に子宮の状態を確認します。このときに執刀医から、わたしの子宮からは胞状奇胎に特徴的な形の絨毛は取れなかったが、いずれにせよ内容物は病理検査にまわすので、その結果をみて判断したいとのコメントがありました。

 

退院後の身体と心

点滴のおかげか、朝から飲まず食わずで全身麻酔の手術を乗り切っても、身体はなんとか言うことをきいてくれます。ポカリをちびちび飲みながら着替えて退院準備をし、タクシーに乗り込む時には朝降っていた雨は止んでいました。

 

帰宅後はやはり体力が尽きてしまったようで全身がだるく熱っぽく、空腹を感じているような気がしたもののほとんど食べられずにすぐにベッドに横になりました。下腹部は痛いということはないのですが、何か違和感があり力が入らない状態がここから1週間くらい続きました。

 

手術の翌日も平日。夫からはもう1日休むように言われていましたが、迷った末に遅刻して出勤してしまいました。休んだとしてさしたる問題はないのに、本当にどうかしていると思います。変なプライドが邪魔して、周りの人に頼ったり自分の弱いところ人に見せたりするのが絶望的に不得意な性格が30過ぎても直りません。

 

そんなわたしなので、「流産の手術」を受けたことは最終的に職場の誰にも伝えられませんでした。仕事上関わりが密接な上司や同僚には「婦人科系の病気を患って治療のため1日欠勤した。今後半年ほどは定期通院がある」という旨は伝えましたが(胞状奇胎の説明として間違いではないはず、と思っていた)、それが妊娠がらみであることは伏せていました。

 

周りに打ち明けないと決めたのは自分のくせに、一方で「このつらさは誰もわかってくれないんだ」などと悲劇のヒロイン気取りでひとり鬱々としたりしており、今思えばこじらせもいいところです。

 

ただ、傷ついているという事実だけは確かだったと思います。でも、それが事実だからこそずっと向き合えなかった。この手術を境に、これまでと生き方のスタンスが少し変わってしまったのかもしれないと自覚できたのも最近のことです。このことはまた改めて書いてみたいと思います。

 

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不妊治療 その9 子宮内容除去術へ

大学病院を受診

2016年3月初旬の土曜日。前日に不妊治療専門クリニックで紹介状を発行してもらい、朝から夫に付き添われ大学病院の産科を受診しました。

 

土曜日の大学病院らしく、予約は入っていたもののかなり待たされました。hCGの値を調べるための血液検査、絨毛が他の臓器に転移していないかをみるレントゲン撮影を済ませた後、診察室へ。担当医の他に前日クリニックで紹介状を書いてくれた医師の姿もあり少し安心します。

内診室はいつものクリニックとは違い、患者側にモニターはありません。ただ、カーテンの向こうの2人の医師の会話から、結果は昨日と変わらないものであることはすぐにわかりました。子宮内には胎嚢のかわりに増殖した絨毛と思われる影が見えており、医師たちはそのエコー写真を何枚かおさえている様子。いまのいままで抱いてきたわずかな希望があっさりと打ち砕かれるのを、内診台の上でぼんやりと感じていました。

 

診察室に戻り、やはり胞状奇胎もしくは子宮外妊娠の可能性が高いため、速やかに子宮内容除去術(いわゆる掻爬手術)を受けてほしいと通告されました。さらに手術後は定期的に血中hCGの値を検査することで絨毛が残留していたり増殖・転移していないかを確認する必要があるとのこと。初期は2週に1回、その後は4週に1回通院し、20週後にhCGが0.1以下になったことが確認できるまで管理が続くと言われました。

 

胞状奇胎の概要と予後については昨日までにネットであらかた調べ、心の準備をしてきたつもりではいたものの、わたしの身体に起こっている事実と医療措置の内容をできるだけフラットに説明しようとしてくれている医師の専門家らしい気遣いに心が過剰に反応してしまい、診察室の中でこらえきれず泣いてしまいました。夫が静かにそばで支えてくれました。

 

手術は週明け早々の月曜に決定。朝に入院し、夕方には帰宅できる日帰り手術です。入院の説明を受けて一部手続きを済ませ、昼過ぎに病院を後にしました。

 

止まらない涙

帰宅してから、これまでは感じてこなかった下腹部痛と腰痛が発生。身体を立てていられないのでその後はずっとベッドで過ごしました。

横になっていると、自然に涙があふれてきます。いま思えば感情の整理ができないとはこういうことなのか、とも思えるのですが、いったい自分はなぜ泣いているのかまったくわからないけれど、涙が止まりません。

生まれてくるはずの命が失われた悲しみ?病を得た絶望?手術を目の前にした恐怖?皆がごく当たり前に通るステップもこなせない劣等感?夫への申し訳なさ?浮かれていた自分の愚かさに対する憤り?とにかくこれまでに経験したことのないような複雑な感情の波に揺さぶられながら、手術当日を迎えることになりました。

 

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