不妊治療→妊娠の記録

1981年生まれ。2年にわたる不妊治療の末

不妊治療 その10 手術当日(子宮内容除去術)

2016年3月初旬の月曜日。冷たい雨の降る中、日帰り手術のため朝から大学病院に向かいました。この日は仕事で関わっているプロジェクトのわりと重要なイベントが控えていたのですが、前日の日曜日、引き継ぎ内容とお詫びの言葉を連ねたメールを一緒に取り組んできた先輩に送り、体調不良で欠勤する旨を伝えていました。

 

手術前の処置

病院一階で入院の手続きを済ませ、夫と一緒に入院病棟へ。6人部屋に通されました。

まずは子宮口を開くためのラミナリアを入れる処置を受けることに。卵管造影検査を受けた時のバルーンでも相当な痛みを感じたので今回も覚悟はしていました。実際、ラミナリアが何本も入って行くたびに痛みが広がり、処置が終わったあとは痛みと吐き気で立ち上がれなくなってしまいました。看護師さんに助けられながら車椅子でベッドまで移動。ラミナリアが水分を含んで膨らむのをベッドで待ちます。

しばらくは下腹部痛ににぶい痛みが続いており、ひたすら目を閉じて耐えていましたが、1時間ほど経つと痛みは薄れ、スマホをいじったり夫と喋ったりして時間を潰せるまでになりました。

 

麻酔が効かない?

お昼過ぎ頃、いよいよ手術に入ります。手術着に着替え、看護師さんに伴われて手術室へ。まずは点滴の管を取ったり酸素マスクをセットしたり。続いて麻酔が入り、意識が遠のいたと思った瞬間、痛みが下腹部に走りました。思わず「痛い痛い!」と遠のく意識の中何度も叫びます。そのうちに痛みがなくなり、目を覚ました時に手術は終わっていました。

どうやら麻酔との相性が悪く効きがあまりよくなかったようで、途中で種類を切り替えたとのこと。ストレッチャーで病室に運ばれ、またしばらくうとうととしました。

 

夕方近くになり、最後に子宮の状態を確認します。このときに執刀医から、わたしの子宮からは胞状奇胎に特徴的な形の絨毛は取れなかったが、いずれにせよ内容物は病理検査にまわすので、その結果をみて判断したいとのコメントがありました。

 

退院後の身体と心

点滴のおかげか、朝から飲まず食わずで全身麻酔の手術を乗り切っても、身体はなんとか言うことをきいてくれます。ポカリをちびちび飲みながら着替えて退院準備をし、タクシーに乗り込む時には朝降っていた雨は止んでいました。

 

帰宅後はやはり体力が尽きてしまったようで全身がだるく熱っぽく、空腹を感じているような気がしたもののほとんど食べられずにすぐにベッドに横になりました。下腹部は痛いということはないのですが、何か違和感があり力が入らない状態がここから1週間くらい続きました。

 

手術の翌日も平日。夫からはもう1日休むように言われていましたが、迷った末に遅刻して出勤してしまいました。休んだとしてさしたる問題はないのに、本当にどうかしていると思います。変なプライドが邪魔して、周りの人に頼ったり自分の弱いところ人に見せたりするのが絶望的に不得意な性格が30過ぎても直りません。

 

そんなわたしなので、「流産の手術」を受けたことは最終的に職場の誰にも伝えられませんでした。仕事上関わりが密接な上司や同僚には「婦人科系の病気を患って治療のため1日欠勤した。今後半年ほどは定期通院がある」という旨は伝えましたが(胞状奇胎の説明として間違いではないはず、と思っていた)、それが妊娠がらみであることは伏せていました。

 

周りに打ち明けないと決めたのは自分のくせに、一方で「このつらさは誰もわかってくれないんだ」などと悲劇のヒロイン気取りでひとり鬱々としたりしており、今思えばこじらせもいいところです。

 

ただ、傷ついているという事実だけは確かだったと思います。でも、それが事実だからこそずっと向き合えなかった。この手術を境に、これまでと生き方のスタンスが少し変わってしまったのかもしれないと自覚できたのも最近のことです。このことはまた改めて書いてみたいと思います。

 

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