不妊治療→妊娠の記録

1981年生まれ。2年にわたる不妊治療の末顕微授精で妊娠

不妊治療 その8 胞状奇胎の疑い

2016年3月初旬。高温期28日目に妊娠の確認のためついにクリニックを受診することにしました。この宙ぶらりんの状態にはやくカタをつけたい気持ちを押さえながら過ごす時間が本当に長く感じた2週間。この間体調の変化はほとんどありませんでした。

 

自己タイミングで陽性反応がでたことを看護師さんに伝えると、ホルモン値のチェックのための採血へ。その後内診室に案内されました。

内診台に上がり、息を飲んでモニターを見つめます。医師は器具を動かしてくまなく子宮内を確認してくれていますが、モニターの黒い画面に胎嚢らしきものは映り込んできません。タイミングをとった日を改めて尋ねられ、週数に誤りがないことを確認されます。

 

結局、胎嚢は子宮内に見当たらず、医師からは「着替えたら隣でお話ししましょう」と。事態をよく飲みこめていないままあたふたと隣の診察室にはいると、机上にエコー写真が一枚置かれていました。

「もう6週に入るころで血液中のhCGも10,000以上あるのに赤ちゃんの袋が見えないのはおかしいです。この写真を見てください。ここに白っぽいもやもやがあるでしょう?」

医師が指差したあたりには若干ではありますが薄く星雲のような影が写っています。

「胞状奇胎って聞いたことありますか?異常妊娠のひとつで、絨毛が異常繁殖してしまい妊娠の継続が難しい病気です。今日見る限り、胞状奇胎の疑いが強いです。すぐに大きな病院で診てもらったほうがいいです」

あまりにも急な話でとりあえず考える時間が欲しかったものの、医師と看護師のただならぬ様子から事態の深刻さを察知し、言われるがまま医師の本勤務先である大学病院への紹介状を書いてもらい、翌日の土曜日午前に受診することになりました。

 

診察を終えて仕事に向かう途中、胞状奇胎についてひたすら検索。ほぼ間違いなく掻爬手術になること、絨毛が内膜の奥の子宮壁に入り込んでしまった場合、抗がん剤による治療が必要になること、さらに他の臓器に転移して絨毛がんになる可能性もあることーー。先ほど医師から説明をうけたのと同じ内容です。

正常に妊娠できない可能性もありうることは頭ではわかっていましたが、あまりの衝撃の大きさに、自分が当事者になることにまったく覚悟はできていなかったのだと痛感しました。

 

その日は上の空のままなんとか仕事をこなしましたが、帰宅して夫の顔を見たとたん、涙が止まらなくなってしまいました。

医師から告げられたことを泣きながら説明して、翌日の通院に付き添ってもらうことに。ただ、まだこの時点では、これは何かの間違いで、明日大学病院であっさりと胎嚢が見えて「いやー、よかったよかった」となったりするのでは、という甘い期待も捨てられていませんでした。

 

 

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不妊治療 その7 自己タイミングで陽性反応

排卵日検査薬を使い自己タイミング

初めて不妊治療専門クリニックの門を叩いてからおよそ9カ月後となる2016年1月下旬。3回程度(正確に覚えていなくてすみません)のタイミング指導では成果が得られず、いよいよ人工授精にステップアップしようと決意して、最後にダメもとで自己タイミングを行いました。

 

排卵日検査薬で薄い陽性反応が出た日から1日おきと決め、陰性になるまで計3回タイミングをとりました。 

3回目のタイミングの日の夜には排卵痛と思われる痛みがありました。翌日朝の基礎体温は低いまま、翌々日は理由があり基礎体温を計れなかったのですが、その次の朝にはしっかりと体温が上がっているのか確認できました。いつもダラダラと高温期に移行するわたしにしてはとても珍しいことです。

以降、高温期に入ってからの体温は終始安定していました。これまでのグラフはガタガタだったので、こちらも珍しいなと思っていましたが、気持ちは完全に人工授精に向かっていましたので、特に何の期待もなく普段と変わらない生活を送りました。

高温期13日目から16日目(フライング)

 高温期(に入ったと思しき日から)13日目、職場の飲み会に出席。たくさん飲んだわけではないのに、すごくアルコールが回った気がして異常に喉がかわきます。帰宅後、ポカリスエットの粉末を冷蔵庫の奥から引っ張り出してきてお湯で割り、大きなマグで2杯がぶ飲みしました。

翌日の高温期14日目、定期通院している皮膚科で診察前に検温したところ(内科を併設しておりインフルエンザが蔓延していたため検温が必須でした)、37.1℃。風邪の症状はないのにいやに体温高いな、腰にカイロ貼っているせいかな、そろそろ生理だけどどうなっている?くらいしか思わず。

高温期15日目は土曜日。茶色のおりものが出て、眠気と寒気がひどく、生理の到来を確信しましたが、朝の体温は下がっていませんでした。

高温期16日目の日曜日早朝3:00、寝汗で目が覚めます。二度寝のあと体温を計るとまだ高温期のまま。わたしの場合、高温期は短いと10日、長くても14日で体温が下がり生理がくるサイクルだったため、明らかにおかしいと感じました。ベッドから出てトイレで出血の有無を確認。昨日出ていた茶おりは止まり、ペーパーには何もついてきません。

意を決して、これまで何度もフライングをしては裏切られてきた妊娠検査薬を試してみました。

尿をかけて数分後。コントロールラインよりは薄いものの、陽性反応のラインが確かに出現。にわかに信じられず、震える手で検査薬を持ったまましばらく茫然。起きてきた夫に陽性反応が出たことを告げ、(そんなことをしても何の効能もないのに)とりあえずその日の外出予定はとりやめることにしてベッドにまた潜り込みました。体温が高い以外の体調変化としては、なんとなく口の中の味がおかしくなりました。

 

高温期17日目以降

陽性反応が出た翌日からは基礎体温をひたすら気にしつつ、妊娠検査薬(クリアブルー)を追加で入手して数日おきに試す日々。体温は安定し、検査薬も次第にコントロールラインよりも濃い色を見せるようになりました。ただ、口の中の気持ち悪さはその後1週間程度続いたあと、だんだん気にならなくなっていきました。

 

妊娠確定の通院はいつするべきか。これについては調べては悩み、迷いました。あまり早くに通院しても胎嚢が確認できず二度手間になる。でも、正常に妊娠できているかは1日も早く知りたい。この間で日々揺れていました。

この頃までには流産や子宮外妊娠のリスクについても知識を得ていたので、夫には「まだ何があるかわからないんだから」と妊娠の話題を持ち出さないようにと強く牽制していました。といいつつも妊娠に関する甘い妄想は頭の中で勝手に膨らみます。はっと気づいて今度は初期流産の可能性についてスマホで検索しまくり自らを追い込んだりと精神的には結構不安定だったと思います。

 

考えに考え、この日ならほぼ胎嚢は見えるだろうと思われる高温期28日目(妊娠週間換算で6w0d)に緊張しながらクリニックを訪ねました。ここで事態はまさかの急展開を見せるのですが、それは次回にまわします。

 

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「妊娠米」騒動に思う

不妊治療界隈で知らない人はいないであろう「妊娠菌」なる表現。不妊治療専門掲示板などで、一足先に治療から卒業した人が、回答の末尾に「妊娠菌置いていきますね」と後輩たちへのエールを込めて書き込んでいるのをよく目にしていましたが、それがリアルの場に現れ、しかも詐欺まがいの金儲けに使われてマスコミに取り沙汰される事態になるとは…。(いや、恐れるべきは人の欲望を発見するやそれを誰もがかんたんにお金に換えられるメルカリというプラットフォームなのかもしれませんが…)

<「妊娠菌」付き米>ネットで高額売買 医学的根拠なし (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 

この記事で最も驚いたのは、日本生殖医学会が、妊娠菌が過去研究されてきたことはないし医学的根拠もないと正面からまじめにコメントしていること。医療従事者でない一般市民でも、常識的に考えれば医学的根拠があるわけないことは一目瞭然だと思うのですが、権威に注意喚起してもらわなければならないほど事態の広がりは深刻だったということでしょうか。

 

そう呆れる一方で、この騒ぎは不妊治療経験者としては決して笑えないし、自分も当事者になり得た可能性だって否定できないとも思います。

 

これだけ医療が進歩したいまでも不妊の1/3は原因が不明とされているとおり、適切な治療をすれば誰もが必ず妊娠できるわけではありません。いろんな方の不妊治療体験記のブログを読むと、「長いトンネルの中にいるようだ」という表現によく出くわしました。わたしも生理がくるたびに落ち込むと同時に、何をどう変えれば結果につながるのか、その確かな答えなど実はどこにもないという事実を半ば見ないようにやりすごして次周期に臨むといった具合でした。

 

「これさえすれば妊娠できる」などという魔法ないことはわかっているものの、結果が出ない日々が続くほど、何か少しでもいまの「良くない」状態を改善しなければと焦りはつのり、わたしも例にもれずいろいろな情報にあたりました。温活、サプリメントルイボスティーなど、妊活によいとされるもののなかでもメジャーでかつ生活にも取り入れやすいものは結構トライしてきたと思います。(ちなみに、明確に効果があった、といえるものはありません。そうなることはうすうすわかっていましたが続けていました。これについてはまた別途書きます)

 

医学的に根拠があろうとなかろうと、少しでも妊娠に近づくなら何だってやるーー元当事者として、これが不妊治療中に至るごく自然な考え方だと言っても間違いではないと思います。

 

記事内でも指摘されていましたが、そういったわらをもつかむ思いでいる人の弱みにつけこみ詐欺行為をはたらくことは本当に許しがたく言語道断です。

しかし、少し視点を変えてみると、たとえば子授けのご利益があるとうたう神社のお守りにはじまり、「不妊鍼灸」、不妊に効果があるとする整体やマッサージ、そしてわたしも試した温活やサプリメントルイボスティー…。「妊娠米」はこれらの延長線上にあるようにもみえるのです。

 

正解がみえない中、長くて暗いトンネルの中を進むような不妊治療。その困難を改めて感じさせられる出来事でした。

 

 

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不妊治療 その6 タイミング指導

2015年9月に卵管造影検査を受けて異常なし。検査当月は避妊をする必要があったため、第一ステップであるタイミング指導に入れたのは10月。初診から実に約半年もかかってしまいました。

 

タイミング指導というのは(こう言うと失礼に聞こえますが)すごくプリミティブな治療法で、超音波内診をした際に見えた卵胞の大きさから排卵時期を推定し、いまにも卵胞がはじけて卵子が放出されそう、というときを見計らい夫婦生活をするように医師が指導するというもの。とはいえそのタイミングは実に難しい。卵胞の成長スピードは毎周期異なるため、いつが卵胞の大きさを見てもらうのに最も適した日なのかを自己判断するのはほとんど賭けでした。わたしの場合、冬場はどうやら卵胞の成長スピードが遅くなる(つまり排卵まで日数がかかるようになる)ことはわかりましたが、それ以外に何が関係しているのか自覚できる理由を見つけることはできませんでした。

 

タイミング指導が始まると同時に排卵日検査薬をネットで購入。診察日の判断材料にしましたが、それでも内診してみると卵胞がまだ小さくその後何度も通院する羽目になったり、はたまた排卵済みで悔しい思いをすることもありました。

 

タイミング指導は合計3回程度してもらいましたが、通院ごとに夫に「今日はまだでした」とか「そろそろ」とかLINEで伝えるたびに、(普段は意識しないようにしているけれど私たち夫婦のあいだに歴然とある)レスであるという事実をどんどん意識せざるを得なくなるような気がして、「医師の指示のもと夜の生活を営む」という特殊な事態に見舞われていることをふたりでどれだけ面白おかしくちゃかしても、そのあとにするそれは正反対に重苦しくなっていくように感じました。

 

これを続けていくのはちょっと無理だなと思い、人工授精にステップアップを考え始めたのが年が明けた2016年1月。そのまえに最後に1回、医師の指示に頼らず、ある種トレーニングのようにタイミングをやりきってみよう、と夫に提案しました。

 

排卵日検査薬で薄い陽性が出た日から、何も考えず1日おきにトライ。検査薬が陰性になるまでそれを続けるという方法。これだったら変に間合いをとらなくてもよく、とにかく決まったことに取り組むだけでいいわけです(もちろんこれがまったく自然ではないことは理解してしていますし、「ブートキャンプ」などとちゃかさないとできない行為ではありました…)。

 

そして、なんとこの方法により思いがけず妊娠検査薬に陽性反応をみることができたのです。

わたしの場合、クリニックで排卵自体の問題は指摘されなかったため、タイミング指導では誘発剤の処方はなしで毎回単純に卵胞の大きさを診てもらうだけ。次第にわかっていったのですが、通常20mmを越えると排卵するといわれる卵胞が、わたしの場合20mmになるまえにはじけてしまうことが多く、排卵時期を逃す要因になっていました。いま思えば、このとき診察してもらっていたら医師から言われたであろうタイミングより少し前倒しで行えていたために、本当の排卵時期をとらえることができたのかもしれません。

 

 この顛末は次に詳しく書きたいと思います。

 

 

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不妊治療 その5 卵管造影検査

2015年9月。生理開始後6-10日後に行う卵管造影検査を受けました。

 

造影剤を子宮内に少量入れ、レントゲン撮影で卵管のつまりがないかを確認する検査です。クリニックの説明資料には「特別に痛い検査ではない」との注意書きがありましたが、体験談などを読むに「気絶するほど痛かった」という方も確かにいて、かなり不安になりました。

 

当日は2時間前から水以外絶飲食。午前中の予約だったので朝食を抜きクリニックに向かいました。

 

まず内診台でバルーンを子宮内に入れるのですが、顔が歪むほどの痛みを感じました。その後バルーンを入れた状態でレントゲン室まで移動。ベッドに横になり造影剤を注入します。注入時の痛みなのかバルーンの痛みともはや判別不可能でしたがここでもとにかく痛い。しばらく我慢するようにと声をかけられ、薬剤の通過状態を確認してもらいます。幸い両方の卵管の通りは問題ないとのことでしたが、早く痛みから解放してほしい思いでそれどころではありません。

 

ようやくバルーンを外してもらって処置室のドアに向かって歩き始めた瞬間、目の前が真っ暗になり卒倒寸前。看護師さんに支えられて急遽安静室のベッドで休ませていただくことになりました。

 

血圧を計ってもらうと50以下。痛みは下腹部から胃腸のほうまで上がって来て吐き気と便意に襲われます。フラフラのままトイレに駆け込み嘔吐と下痢。ベッドに戻っても痛みはなかなか治まらず、1時間ほど休ませてもらったものの、結局意を決してタクシーで帰宅することにしました。

 

仕事どころではないので職場に連絡し半休申請を全休に切り替え、家につくなり着替えもせずにベッドに倒れこみました。しばらく寝ていれば治るだろうと思っていましたが、吐き気と腹痛はどんどん悪化していきます。夜までにトイレとベッドの往復を7-8回は繰り返し、夫の帰宅を待ちました。

 

帰宅した夫は、腹をさすり続け痛い、痛いと呻くわたしの姿を見て病院に担ぎ込むことを決断。近隣で産婦人科がある総合病院の夜間緊急外来に連れて行ってくれました。(タクシー車中も座っていられず恥ずかしながらシートに横にならせてもらいました…)

 

ただ、担当医に経緯と症状を説明するも、対症的な処置しかできないようで、とりあえず座薬と痛み止め入りの点滴を打ってくれて、明日検査を受けたクリニックで診てもらえとの指示。ここでも吐きながらしばらく点滴を受け、帰宅したのは日付が変わってからでした。(夕食もとらず付き添ってくれた夫にはかなり申し訳ないことをしました…)

 

一晩明けた翌日には痛みも治まっており、クリニックに経緯を電話で一報してから受診。内診で造影剤は全て出きっていることを確認しました。

医師の説明によると、原因は造影剤が身体に合わなかったこと。薬剤のは子宮の外の臓器まで飛び散るので、たまにこういった症状が出るケースがあるそうです。

 

実はわたしの体調が万全というわけではなかったことも影響していたかもしれません。検査前日、大きな仕事があり22:00頃まで働いていました。帰宅後も疲れと興奮状態でほとんど何も口にせずに寝てしまい、検査当日も朝食抜き。弱って空っぽの内臓には造影剤の刺激が強すぎたのかもしれません。

 

結局会社はまる2日休むことになってしまいました。出社してみると、わたしが休んだ理由が大きな仕事をやりきって燃え尽きたことになっている節があり閉口…。かといって本当の理由も説明できず、これも不妊治療のジレンマのひとつなんだともやもやしつつもやり過ごすことになりました。

 

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不妊治療 その4 低温期ホルモン値検査

ホルモン値検査

2015年4月末の初診後すぐに風疹のワクチンを接種したため、2カ月間の避妊期間が必要になりました。その後、新婚旅行で2週間ほど海外渡航したりなんだかんだしているうちに時間は過ぎて、次の診察は8月初旬とだいぶ間があきました。

次にクリアすべき検査は低温期のホルモン値とと卵管造影検査です。

 

この日はホルモン値計測のための採血のみ行い、生理が来たら6-10日後に卵管造影検査を受けるようにとのこと。検査ができる曜日と枠数が決まっているため、生理1-2日目に必ず電話で予約をするよう念を押されました。

 

後日報告を受けたこの日のホルモン値は次のとおりで特に問題ないとのこと。

(低温期基礎値)

  • FSH: 7.65
  • LH: 6.56
  • E2: 30.27
  • PRL: 25.45

 

結果を受け取ってから自分でも調べてみたところ、PRLは少し高めのようでした。妊娠しにくい「高プロラクチン血症」なる病名もあると知り不安がよぎったものの、医師の判断を信じてとくにそこは深掘りしないことにしました。

 

情報との向き合い

その後わかっていったのですが、わたしの通っていたクリニックでは、医師やスタッフは治療にあたり患者が本当に知っておくべきことのみ絞って伝えるというスタンスをとっているようで、ホルモンについても個別の値がなにを意味しているかの説明は特になく、伝えられたのは数値に問題があるかないかのみでした。

 

いまの世の中、調べようと思えばかなり専門的な情報にまで誰もがアクセスできる状態にあります。妊娠を意識するようになってから、わたしもさまざまなキーワードで検索したり、不妊治療の体験記や専門の掲示板を貪るように読むのが習慣になってしまいました(妊娠した今、今度は妊婦生活について同じような検索地獄に陥っています)。

 

ネット上の情報の中には医学的根拠のないものも多数含まれていることは理屈としては理解していたものの、不妊治療を始めたばかりの素人にはどれが正しくてどれが間違っているのかの線引きは当然ながらできません。さらに悪いことに、時間を忘れて検索結果を上から順番にチェックしてしまったり、不妊治療ブログ記事をを遡って読みふけってしまうのは、「自分は不妊症で一生子どもができないのではないか」という強い不安に駆り立てられているからで、そうすると、「信じたいものを信じる」ほうにどんどん傾いていき、冷静な判断力はますます失われていきました。

 

わたしはこうして多少客観的に自分の心理状態を分析できる今になっても、スイッチが入るとこの検索地獄に驚くほどあっけなくはまりこんでいるのが日常です。妊婦検診で伝えられる胎児のサイズや自分の身体に現れる変化ーーこれらを検索窓に打ち込むことが心理状態にプラスにならないことのほうが多いことはわかりきっているのに、その誘惑に打ち勝つことができないのです。

 

キーワードを検索窓に入力する習慣のある患者が増えるほど、医師たちは伝える情報に慎重にならざるを得なくなるのは想像に難くありません。あくまで邪推の域を出ませんが、わたしの通っていたクリニックの情報提供のスタンスが先に述べたようなものになったのも、患者側のこのような現状がひとつ背景としてあるような気がしていました。

 

そう想像した上で、情報といかに向き合うか。わたしがとったのは、まず情報収集はもう気が済むまでとにかくやる。ただし治療方針や医療行為については専門家であるクリニックの医師の判断や発言を信じて従うーーという態度でした。乗り込むと決めた船が出航した以上、いまさら戻りたいとか針路を変えろとか船長に楯突くわけにはいきません。でも周りの景色や海の中がどうなっているかを観察してみるのは自由だし、船旅がより充実したものになる。ちょっとわかりにくいたとえですが、いま振り返ってみればそんな考え方をしていたように思います。

 

かなり脱線してしまいました。このペースで書いていくといつまで経っても現在に追いつかない予感…

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不妊治療 その3 男性検査

2015年5月。妻側(わたし)の検査がひととおり済み、次は夫側の検査です。

 

ほとんどのカップルがそうだと思いますが、不妊治療専門クリニックに通い始めたのはわたしの意志があったからで、夫は不妊ということに対しての不安も定見もなかったと思います。

 

当時の私たちは、その気持ちの強さの度合いこそ確認しあっていないものの、子どもが欲しいという意向に関してはなんとなく共有している、といった程度でした。

 

そんなふわっとした状態だったので、精液検査に対して夫がどんな反応を示すのが少し不安だったのですが、意外にもフラットに受け入れてくれ、さっさと自ら検査ルームの予約も取ってくれました。

 

検査当日、結果はあとで共有してもらえば事足りるだろうと思い、夫をひとりクリニックに送り出しわたしは出勤。

ところが検査を終えたこの日の夜に夫から聞いた話から察するに、男性単独での検査はクリニック的にはちょっとイレギュラーだったようで、医師は「あれ、奥さん来てないの?」とびっくりしていたそうです。夫よ、すまん…。

 

肝心の検査結果(SMI: 精子自動性指数)は基準値はクリアしているものの、そこまで優秀でもない、といったところ。禁煙やサプリメントなど、「自分で適宜調べて実践せよ」というのが医師の指導だったそうで、夫は少し呆れていました…。

 

ちなみにSMIは体調により数値が大きく前後するようで、以後、人工授精時や顕微授精時に測定した夫の値は仕事の忙しさ=ストレス度を如実に反映した結果となっており、男性の身体も繊細なのだと感じました。

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